憂鬱な男が忘れっぽい女とスイーツを食べる話

「山井田さん!今度ここ行ってみませんか!」

「はい?」

昼時、食堂の安いうどんを啜っていたら、真向かいに座っている女の子──角宇野さんはそう言ってきた。なにやら興奮した様子だ。

「読んでください!」

そう言って彼女は立ち上がり、俺の方へスマホを滑らせた。何々……

「"今話題沸騰中!██の新名所!████のクレープ!"……クレープ屋ねえ。」

「どうやらクレープ以外も売ってるみたいですよ!……あっ、山井田さんは甘いものは大丈夫ですか?」

角宇野さんは少し焦った表情をした。俺が甘いものがダメかもしれないと思ったのだろうか?

「いや、別に、嫌いじゃないよ。」

「よかったー。」

そういうと、角宇野さんはひゅーと口から息を吹き、ストンと席に座った。……そんなに一緒に行きたかったのか?

「……なんで俺を誘ったんです?」

「えっ!あ、えと、えー……秘密です。」

秘密か。別に俺じゃなくてもいいんじゃ……。いや、待て、山井田。これはもしかすると……デートのお誘いというやつなのでは?

……余りにも日常会話の延長線上だったから気づかなかったが、確かにそうだ。ああ、確かにそうだ。今まで散々俺から誘ったデートは仕事が入ってたり、すっかり忘れてたり、全くもって上手くいかなかった。角宇野さんと会話をするようになってから暫く経っているはずだが、オトモダチからの進展はもう諦めていた……。

しかし、神は俺を見捨てていなかった。いや、神なんか信じちゃいないが、こればっかりは運命の神さまに感謝しなくちゃならない。

「秘密なら、秘密でいいんだけど……」

いいぞ、山井田。隠し事は無闇に詮索しない、いいムーブだ。

「わかっていただけて、嬉しいです。では、日程決めましょう。確か次のお休みって一緒でしたよね。」

手帳を取り出し確認する。今週の水曜……明後日だ。

「俺は明後日休みだね。」

「あ、一緒ですね!じゃあその日でいいですか?」

「ええ。」

よっしゃ。心の中でガッツポーズをする。平静を装っているが、若干顔がニヤついてる気がする。

「わあい!忘れないようにメモしなくちゃ。」

そういって彼女は胸ポケットから愛用のメモ帳を取り出す。……アレが彼女の生命線だ。アレがないとダメなときの俺みたいな感じになるから大変のようだ。一度メモ帳の残ページ切れの状態に遭遇したが、ずっとうわごとを喋りながら虚空を見つめていた。俺は声をかけようとして近づいたら、あまりの様子にめちゃくちゃにビビってしまった。が、すぐに何とかしようと思い、ちり紙を渡した。これで書いたらどうだって。今思うとなんで俺、手帳から紙をちぎって渡さなかったんだろうな……。テンパりすぎだ。だが、角宇野さんはパアッと明るい顔になって「ありがとうございます!」と言ってくれたので、結果良ければ全てよしという感じだ。



角宇野さんとの約束をしてからというものの、俺を包んでいた憂鬱さはすっかり鳴りを潜めてしまった。薬は飲んでるけど。生きる希望があると心がだいぶ落ち着くんだなと思ったものだ。だって、今まで仕事のことしか書いてなかった手帳に"デート"って文字が並んでるんだ。気持ちが高まりすぎて2分に1回くらい手帳を見ている。いや、ちょっと盛ったな。5分に1回くらいだ。

「山井田!ここの数値間違ってんぞ!」

「あ!すいません!」

……テンションが高すぎるのも困り者かもしれない。この後の業務も割と普段はしないようなミスをしていった。俺、あまりにもリア充向いてないのでは?そんな思いが脳裏をよぎる。なんかよくわからん心配が増えてきたような気がするのでその日は早く寝た。風俗に行く夢を見た。夢の中の俺はそれに背を向けていた。



「おはようございます!」

「ああ、おはよう。」

8月も半ば、暑い日差しを避けるべく、待ち合わせ場所の██駅(サイト-81██の最寄駅だ)構内のベンチで10分くらい待っていると、黒いワンピースを着た背の低い女性が現れた。白い肌が目にまぶしい。息を少し切らせて俺の前に立つ彼女は、この前と変わらない様子だった。だが、俺は知っている。

「約束、覚えてた?」

「……お恥ずかしながら。」

「……そっか。」

俺の予想通り、彼女には一昨日の記憶はないようだ。彼女は余りにも多く記憶処理をされている。それはもう有り得ないくらい。薬物愛好家の俺が言うのもなんだが、正直そんなにやったら死ぬのでは?というくらいだ。そんな状態だから記憶処理薬の耐性も強いものらしく、普通の記憶処理のように精度の高い感じのものは出来ないんだそうだ。だから、俺との約束も。

「ま、いいんだ。さっさと行こうか。」

「……はい。」

彼女の声のトーンがあからさまに下がってしまった。……いや、落ち込ませるつもりはなかったんだ。こういうときはどうしたら……。うろたえるな、山井田。俺は彼女へ手を伸ばし……。

そっと手を握った。

「──!」

や、やばい、恥ずかしい。勢いでやってしまった。心臓の動きが急に活発になる。視界がぐにゃりとゆがむ。全神経が俺の手先に向かっていく。やべえよ、角宇野さんの手柔らかい……じゃなくて!

「あ、あ……。」

喋れ俺!耳まで赤くなっているのがとてもよくわかる。俺も。角宇野さんも。

「手、握っていいです、か。」

なんで今聞くんだよ俺!

「…………はひ。」

「!」

角宇野さんからきゅーという変な音が鳴っているが、この際気にしないようにしよう。そのまま、駅のホームへ入っていった。焦る俺には蝉の鳴き声も夏の日差しも何も感じられなかった。ただ、彼女の小さな手のぬくもりだけ、ただ覚えている。



「どう?美味しい?」

「はひ!」

角宇野さんは目をキラキラ輝かせ、口いっぱいにクレープを頬張らせている。そんなに急いで食べなくてもクレープは逃げないんだがなあ。そう思いながら右手に持ったアイスをペロペロ舐めていた。

「1口……食べますか?」

「ぇ!?」

"え"とも"へ"ともつかない妙な声が出た。恐らく俺の引きつった顔を見ているのか、角宇野さんは少し心配そうだ。

「た、た、たべます。」

もたつきながらもなんとか返答する。

「じゃあ行きますよ……。」

そーっと俺の口元へ彼女のクレープがやってくる。俺は口をゆっくり開けて、クレープが口元に来ると同時にゆっくり閉じた。

「どうですか?」

「……おいしい。」

小学生か!俺のシナプスを全力でスパークさせたのに、洒落た感想は浮かばなかった。

「よかったー。ここに来て正解でしたね。結構並びましたけど、その甲斐がありました!」

「ああ、確かにそうだね。」

正直クレープ自体の味は全然わからなかった。緊張で味覚が麻痺してるのか……?しかし、彼女の嬉しそうな顔を見ると、嬉しい。ふと、脳裏に少し前の記憶が現れる。

「そういえば、この前言ってた秘密。教えてくれたり……とかなんとか、できます……かね?」

「この前の……ちょっとメモを見てみますね。」

メモを取り出す。メモだけはいつも変わらない。

「あー見つけました。えーと……。」

「言えそうです?」

「言えそうです。」

角宇野さんはこういうところがある。記憶処理が挟まるとすっかり心も変わってしまっている。しかし、俺はこれを彼女の欠点だとは思わない。俺だって鬱と躁ですっかり心が変わるからな。ははは。はあ。

「メモによれば"最近元気がなさそうだから一緒に何か食べに行って元気づけたい"ってことだそうで。」

「なるほど。」

確かに最近はいつにも増して不健康の塊だったし、そう思われるのも当たり前だ。

「角宇野さんは優しいな。」

「ええ、私は優しいみたいです。」

彼女は別の彼女の方を向いていた。彼女のそのメモの中には無数の角宇野さんがいる。だが、俺はその全てが角宇野さんだと思っている。思っているだけだが。

「いや、あなたもですよ。こうやって俺みたいなのと、つ、つるんで、俺に、その、クレープ食べさせてくれるんですから。」

「そ、そんなこと……。」

「ないわけないです。あなたはいつでも優しい人です。」

俺は彼女の眼を見て、間髪入れずに返答する。静寂。……あれ?これひょっとして……口説いてるみたいでは?

「あーえーと、これは別に口説きとかじゃなくてね、えーと、えー……」

「ふふ、わかってますよ。ちゃんとあなたの言葉、受け取ります。」

「よ、よかった、です。」

一度深呼吸をする。わずかだけど、俺の気持ちが伝わってよかった。俺の右手に収まったアイスはすっかり溶けてしまっていた。

「あ、食べます?」

「じゃあ、1口だけ。」



角宇野さんとのデートも終わり、自室へ戻ってきた。俺は彼女の何になれるんだろう。彼女と関わるとき、俺はよくそう思う。俺だって強い人間じゃない。それこそもっと大変な角宇野さんに心配されてしまうほどに。精神安定剤の入ったボトルをクルクル回しながら、見つからない答えを探していた。見つかるときは来るのだろうか?ピタリとボトルを止めて立ち上がり、部屋の電気を消す。明日からまた仕事だ。早く寝なくては。



「こんにちは!」

「ああ、どうも」

次の日、食堂へ向かう途中で彼女に遭遇した。

「昨日は楽しかった"みたい"ですね!」

「……ええ、そうでしたよ。」

俺が彼女の何かになるにはまだ時間がかかりそうだ。

ss
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